「津金澤先生を偲んで」

土屋礼子:早稲田大学政治経済学部

  近頃は年賀状のやりとりだけになっていた津金澤先生から、今年の正月に頂いた年賀状には、「若い頃、ご一緒に全国の古書店めぐりを共にできたことがなつかしく思い出されます。…昨秋満89才になったとたん腰痛も悪化し直立歩行もできなくなりました。体力の衰えを何とか気力で回復したいのですが、そのタタカイの日々です。…」とありました。それが私が頂いた最後の先生のことばとなりました。

 津金澤先生には、私が大学院生の頃からお世話になりました。1991年に改称されたばかりの日本マス・コミュニケーション学会の大会でだったか、1992年に創設されたメディア史研究会に参加した時だったか、指導教官だった山本武利先生に津金澤先生を紹介されたのがお話しした最初だったと思います。以来、学会開催の折などに古本屋を先生と一緒に巡り歩くのが楽しみの一つでした。沖縄、札幌、名古屋、京都、大阪、八戸、仙台など、全国の古書店ガイドブックを片手に古い新聞雑誌や資料を探し、その成果を談じ合って学びました。数えてみると、当時先生はすでに60歳代だったはずですが、そうは感じさせない精力的な活動ぶりでした。

 私が大阪市立大学(2022年4月からは大阪公立大学になった)に赴任して、関西に12年間いた時には、その人脈から多くの人を紹介して頂き、関西には直接縁の無かった私の研究活動を陰に陽に支援して下さったと、今更ながら感謝の念に堪えません。『百貨店の文化史』(1999)のプロジェクトや『戦後日本のメディアイベント』(2002)など、様々なお仕事を共にさせて頂きましたが、先生と二人でタッグを組んだ仕事として、『大正・昭和の風俗批評と社会探訪:村嶋帰之著作選集』(全五巻、2004-05)が最も印象に残っています。村嶋帰之という、『大阪毎日新聞』社会部記者の書いた「カフェー考現学」「わが新開地」「歓楽の墓」などの膨大な原稿を読んで整理するばかりでなく、津金澤先生は村嶋記者のご息女にも連絡を取って、ご自宅に一緒に尋ねたりしました。今でも彼女はこの選集の出版に感謝して手作りのジャムを毎年送って下さいます。

 しかし、当時の私は博論を出版したばかりで、一方ではプランゲ文庫雑誌目録のデータベース化プロジェクトにも関わり多忙を極めていたので、この仕事は実に重荷に感じられました。けれども振り返ってみると、この仕事を通じて、大正時代の大阪と新聞事業、そして労働運動について私は多くを学ぶことになりました。津金澤先生の関心は、ラジオ放送や漫画や宝塚などの大衆娯楽や風俗、あるいはプレスアルトを初めとする広告史など多方面に渡っていましたが、その射程は民衆の生活環境や社会問題まで含んでいたことを改めて思い起こします。

 群馬県沼田のご出身だった先生は、私が隣県の長野県出身であったことや小新聞の研究をしたことから親近感をお持ちだったのか、時々若い頃の話をして下さいました。その中で、「僕は大学生の頃、(バレエ)ダンスをしていた」という話を聞いたことがあります。あまりに意外で、私の頭の中では像を結ばずに謎のまま残っていますが、どなたかそれを確かめて下さる方がいればと思います。

(2022年6月15日)