【大阪メディア文化史研究会について】
「広告史に興味のある研究者はなぜか関西に多いね。」
津金澤聡廣(関西学院大学名誉教授)のこの言葉から、私達のちいさな研究会は始まりました。
日本の広告史研究を目的として、
会の特徴は「広告」へのアプローチが、社会学、デザイン史、日本史と様々であること。
当初「戦時期広告史研究会」としてスタートしましたが、活動範囲の広がりから「大阪メディア文化史研究会」へと名称を変え、活動を続けています。
【設立主旨に代えて】
「1920 年代後半あたりから30年代にかけては……いわばモダニズム広告の確立期が戦時体制と重なりあって進行していったのであり、戦前昭和における大衆向けモダニズム広告の方法論と優れた宣伝技術が当時の国策宣伝にも活用され、それが戦後広告の発展の基礎ともなっている。ところが、そうした戦前期デザイン史につ いては、……戦時体制下の宣伝・広告関係の印刷物・出版資料等の多くは、戦後長く埋もれたままである。」津金澤聰廣「『プレスアルト』にみる戦時期デザイナーの研究(上)」『日経広告研究所報』189号、2000年、2頁
「戦争と宣伝技術者」の問題がなぜ問い直されねばならないかについて『報道技術研究会の記録』の「まえがき」ではたとえば次のように述べている。……「この部分は、現在までほとんど空白のままである。」なぜ空白のままなのか。「この頃のことは、誰もが黙して語らない風がある。……」しかし、ただ仕事になればよ いという気持ちで、仕事をしてきたのではない。「何とかして現状を打ち破って、高い国家の理念を掴み、そこから出発する企画と構成のもとに、技術を最高度 に駆使してみたいという思いが、私たちの心奥には絶えず燃え続けていたのである。」この率直な「まえがき」は当時の宣伝技術者に共通する心情として理解で きるし、この種の戦時期デザイナーの記録の乏しさもそこに大半の理由がある。津金澤聰廣「『プレスアルト』(1937~43年)にみる戦時宣伝論」『インテリジェンス』創刊号、2002年、74‐75頁