「津金澤聰廣先生からうけた学恩」

阪本博志:帝京大学文学部

 津金澤聰廣先生に初めてお会いしたのは、2001年6月2日に同志社大学今出川キャンパスで開かれた、2001年度日本マス・コミュニケーション学会(現・日本メディア学会)春季研究発表会においてでした。当時私は博士後期課程の2年生でした。
 この日の午後、シンポジウム「マス・コミュニケーション研究の起源を問い直す――ドイツ、アメリカ、日本におけるメディア研究の二〇世紀」が開かれました。この司会を津金澤先生が吉見俊哉先生と務められ、土屋礼子先生・佐藤卓己先生・藤田真文先生が報告をされました。
 この日の夕、懇親会にて、津金澤先生にご挨拶をさせていただきました。
 そのおりに名刺を頂戴した私は、拙稿「戦後日本における「勤労青年」文化――「若い根っこの会」会員手記に見る人生観の変容――」(『京都社会学年報』第8号、2000年)の抜き刷りを、お手紙とともにおおくりさせていただきました。拙稿は、修士論文をもとにした、私の最初の学術論文です。
 後日、津金澤先生より、ご丁重なお返事と『近代日本のメディア・イベント』(同文舘出版、1996年)のご本、『関西学院大学社会学部紀要』第87号(津金澤聰廣教授記念号、2000年)、ご研究についての資料が届きました。お手紙には、拙稿に対したいへん勉強になった旨と、『近代日本のメディア・イベント』にご批判をくださいという旨が書かれてありました。学界における重鎮の先生が、研究室紀要に論文を発表しただけの大学院生にこれほどていねいに接してくださっていることに、私は非常に驚くとともに感銘をうけました。

 その後何度か梅田で一対一でのご指導をいただきました。梅田で一度目にお会いしたときには、版元で絶版になっているという鶴見俊輔先生の『文章心得帖』(潮出版社、1980年)をくださいました。同書は2013年にちくま学芸文庫に入り、いま私は学生とともにこの本を学んでいます。
 梅田では、1950年代の大衆娯楽雑誌『平凡』の研究に私がとりくんでいることに対し激励していただきました。直接お会いする以外にも、お手紙やお電話でもたびたびご指導をいただきました。お手紙では、着実に研究業績を積み重ねることが肝要である旨も、くりかえし教えていただきました。こうしたご指導・ご助言のおかげで、『平凡』の研究をまとめることができました。
 2006年に宮崎公立大学に着任し、2008年5月に『『平凡』の時代――1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』(昭和堂)を上梓しました。津金澤先生に謹呈したところ、身にあまるおことばをいただきました。

 津金澤先生は、ご著書・ご高論や新聞・雑誌寄稿をたびたびお送りくだいました。拝読して、新しい知識を得たことはもちろんのこと、文章の書き方についても学ばせていただきました。
 また、上記拙著刊行後も、著作物を謹呈させていただくたびに、ご丁重なご返信を頂戴しました。

 『平凡』研究を進めていくなかで私は、1950年代当時『平凡』読者と大学生との文通運動を展開した京都大学経済学部OBの西村和義氏にインタビューを続けていました。西村氏のことを知ったのは、久野収先生と鶴見先生とのご共著『現代日本の思想――その五つの渦』(岩波書店、1956年)の、鶴見先生が担当された第5章「日本の実存主義―戦後の世相―」の「戦後派の仕事」の節です。鶴見先生は同時代にもそのあとにもさまざまなところで西村氏を高く評価しておられます。その鶴見先生に、西村氏をどのようにご覧になられているのか、いちどお話をうかがいたく希望していました。
 2006年4月9日に早稲田大学20世紀メディア研究所主催の講演会・シンポジウム「占領期の雑誌メディアをひらく」において、鶴見先生が「若き哲学者の占領期雑誌ジャーナリズム活動」と題した講演をされました。この会場で津金澤先生が鶴見先生に私を直接ご紹介くださり、鶴見先生に同年7月12日にお話をお聞かせいただけることになりました。
 鶴見先生に面会した際には、当時のことをお話しくださったあと、津金澤先生にご指導をうけ続けるようにという旨をおっしゃられました。鶴見先生の津金澤先生に対する信頼の厚さを感じました。

 梅田でご指導をいただくようになってほどなく、ご蔵書の整理を進めておられるということで、津金澤先生の旧蔵書をわけていただけるようになりました。
 毎回届く段ボール箱には、全集・著作集・資料集・図鑑・雑誌バックナンバーから一般書や漫画にいたるまで、多様なご本がていねいに梱包されていました。箱をひらくたびに津金澤先生の知的好奇心の範囲の広さを実感し、津金澤先生の頭脳に宇宙を見た思いがしました。
 頂戴した本には、その本の書評や著者の寄稿などを切り抜いた新聞記事が挟まれているものも多くありました。本をどのように活用するのかということを、津金澤先生に教えていただいたように感じています。

 私事になりますが、修士課程に進学した1998年の9月に、母が重い脳梗塞で倒れました。左半身が完全に麻痺した母を、一人っ子の私は父親と介護をしながら研究をしていました。このことでも、先生よりお手紙にてあたたかいおことばをいただきました。母が亡くなったときには、はげましのおたよりを頂戴しました。

 2019年11月1日に京大大学院教育学研究科で開かれた、木下浩一氏の博士論文公聴会でお目にかかったのが、津金澤先生にお会いした最後となりました。
 そして、本年1月22日付で頂戴したお便りにお返事をお送りしたのが、最後のやりとりとなりました。

 元旦に頂戴したお年賀状には、息子へのメッセージもお書きくださっていました。そのおことばを息子が理解できるようになるには、もうすこし時間が必要です。理解できる歳になれば、きちんと伝えたく考えています。

 津金澤先生からうけた学恩ははかりしれません。心より感謝いたしますとともに、ご冥福をお祈り申し上げています。

(2022年7月12日)