「この春にチャンネル4でへんな日本人女性が司会するカラオケ番組をやっていて。日本からの駐在員からは国辱ものだ、やめてほしい、という声も上がっていたんですよ」
1989年7月、私はロンドンで津金澤先生とお会いした。パリで開かれた国際ポピュラー音楽学会大会に出席した後イギリスに渡ったのだ。研修中の先生は、日焼けして、すっかりリラックスした表情で、リュックサックを背負い、ロンドンの街を闊歩されていた。その折りにこのカラオケ番組の話が出た。
この番組『Kazuko’s Karaoke Klub』は1989年春に8回放送された。二人組のユニット、フランク・チキンズのカズコ・ホーキが司会し、著名人がカズコとチャットをしてからカラオケで歌う。もう一人のメンバーであるアツコ・カムラが、いやいやながらサービスをするゲイシャという役柄で盛り上げるというものだった。西洋人がもつ日本人のイメージを逆手にとった趣向だった。
今思えば、先生との会話は、その後のカラオケ研究の伏線になっていたということになる。1991年にリヴァプール大学で研修する機会を得た時、イギリスにおけるカラオケをテーマにしたのだ。滞在中にカズコ・ホーキにインタビューすることができた。また、オクスフォード大学の社会人類学の院生で、日本のカラオケについて研究したいというウィリアム・ケリーとも出会うこともできた。彼は佐藤卓己先生が寄稿された文章の写真に写っている。
津金澤先生に最初にお会いしたきっかけは、1970年代後半、埼玉大学の恩師、林進先生が研究代表者だった科研のプロジェクトだった。院に進んだばかりの私はプロジェクトの事務担当を務めた。プロジェクトのテーマは、CATVを中心にした新しい地域メディアの研究で、甲府市民を対象としたアンケート調査も実施した。メンバーは、有山輝雄先生、佐藤毅先生、仲佐秀雄先生、津金澤聰廣先生、早川善治郎先生、山本武利先生、林茂樹先生、奥野昌宏先生で、研究会はリベラルで和やかな雰囲気に包まれていた。なかでも津金澤先生は、ウイットに富んだ発言をされ、場を和やかにするムードメーカーだった。今思えば、メディア文化に関心をもつ大先輩に院生時代に出会えたのは幸運というほかない。
津金澤先生とはこの縁で1986年に私が桃山学院大学に職を得てからも声をかけていただいた。関西学院大学社会学部に非常勤講師として呼んでいただいた。『近代日本のメディア・イベント』の執筆にも声をかけていだたいた。先生が関学に着任する前に桃山学院大学に行く話があったこと、私が関西大学に移った後に桃山学院大学に移られたことも不思議な縁を感じた。
非常勤出講の折り、津金澤先生の研究室にお邪魔したことがある。学部生の指導をされていた。その時、非常にきびしい口調で学生を叱責されるのを見て私は震え上がった。普段の柔和な先生とは異なる表情があった。私も原稿の締切を守れず、叱責されたことがある。
先生は、ちょっとしたお誘いを断る際にも、丁寧な手書きのお手紙をくださった。私は、折り目正しい所作とはかくあるべしというお手本のような先生の域に達することができないまま、今日に至っている。先生の折り目正しい所作はバレエに通じるものがあるなどと考えたりする。
バレエや宝塚について、もっとお話すればよかったと思う。
ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
(2022年6月29日)