津金澤先生は2000年4月から2008年3月までの8年間、桃山学院大学社会学部教授として教育・研究に取り組まれた。関西学院大学社会学部を定年になられる一年前に早期退職され桃山に赴任されたのは、1990年代後半に2000年度からの大学院設置を目指し準備を進めていた私たち桃山の社会学部からの切なる願いがあったからである。マスコミ、広報を中心に幅広い分野で多大な研究業績を有する津金澤先生を新たな社会学研究科の核としてお迎えすることは必要不可欠な人事であり、70歳定年を75歳まで延長するという特別人事枠での招聘であった。
先生に初めて面識を得たのは1998年の夏休み中だった。設置準備委員として梅田で初めて先生とお会いし、その数日後和泉市にある桃山のキャンパスをご案内した。そして設置申請書類に署名捺印していただき、一年半後無事に社会学研究科は開設することができた。ご自分に対しても礼儀を大切にされる先生は、当時社会学部長であった私に過剰に感謝され、わざわざ宝塚の拙宅まで奥様とお二人でご挨拶においでになった。2000年2月下旬の寒い日だった。その際、1970年代初めに桃山に採用される寸前までいったというお話をされ、桃山に深い因縁を感じており8年間懸命に務めたいとおっしゃったことをよく覚えている。
桃山は労働条件が厳しく、大学院担当コマ数とは関係なく、学部も5コマ担当となっているため、最初の3年間はたいへんだったと思われるが、先生は実にお元気に楽しそうにゼミ生たちをフィールドワーク等で指導しておられた。4年目からは特任教員となられたので学部負担は3コマとやや軽減されたが、研究科長をお願いすることになったため、相変わらずご多忙のままであったと思われる。にもかかわらずその間にも実に多くの研究業績を上げられていたことには今更ながら驚嘆するばかりだ。そして2008年1月25日に最終講義、3月でご退職となった。
先生が今年の2月に亡くなっていたことを4月に桃山の石田あゆう先生にお知らせいただき、すでに90歳近くのご高齢であることは存じあげていたが、お元気な印象のみがあったため突然の訃報には驚かされた。通常は先生の年賀状で近況をうかがえたのだが、昨年の母の死去のため今年は年賀欠礼で、先生から年賀状をいただけずそれがかなわなかった。私も今は定年後生活の日々、先生のご冥福を祈りつつ、ご恵贈いただいたご著作を拝読していきたい。
(2022年6月19日)