「津金澤聰廣さんとメディア・イベント研究」

有山輝雄

 津金澤さんと最初にお目にかかったのは、たぶん一九七〇年代の初め頃、新聞学会の会場でどなたかに紹介されたのであろうが、正確には思い出せない昔となってしまった。その頃、津金澤さんは既に関西のメディア・メディア史研究をリードする立場にあられた。私はようやく研究を始めたばかりの大学院生で、研究の入り口も見つけられず、ウロウロしていたのだが、津金澤さんの小新聞研究の論文を読んで驚いた。当時、私などが思いつく研究主題は政論新聞の論調分析がせいぜいで、小新聞に本格的に取り組むなどということはまったく思いもつかなかった。その後、古本屋で『テレビ番組論 見る体験の社会心理史』という斬新な装幀の本を入手し、これにも驚いた。その頃、社会心理史という言葉が色々なところで使われていたものの、その中身は意外に平凡で、言葉だけが先行している憾は否めなかった。だが、この研究は具体的なテレビ番組を視聴者の「見る体験」という新しい視角から鮮やかに分析してみせていたのである。

 その頃から、津金澤さんは、新聞研究、メディア研究の枠をずっと広げて考えておられた。しかも、それを実際の研究として示された。新しい研究領域を大上段に論じたりせず、また格別力んだ様子をみせることなく、ごく自然に切り開いていかれたのである。

 私が関西の大学に勤めるようになって、津金澤さんと接する機会が多くなったが、津金澤さんはよく漫画研究の必要性を説いておられた。今でこそ、漫画を研究することは突飛なことではないが、その頃は漫画研究は軽視されていて、軽視されているために基本的事実をおろそかにした安易な漫画論が横行していた。それを慨嘆され、初期の御著作である『マンガの主人公』をいただいたが、その裏表紙には共著者お二人と若い津金澤さんが並んだ写真が掲げられている。若い頃の写真でと照れておられたが、中身は本格的な文化研究である。

 その後、朝日新聞広告局が資料を公開するというので、新聞広告と経営の研究をご一緒させていただいたが、これは随分勉強になった。ともかくこれを一書にまとめることができ、ほっとしているところに、津金澤さんから新聞社事業の本格的研究をしようというお電話をいただいた。私も、朝日新聞社の広告資料を研究している過程で、新聞社が様々なかたちで企画実施してきた事業が重要な広告営業策、経営拡大策であることに気がついたのだが、これを本格的に研究しようとまで思っていなかった。だが、津金澤さんは鋭い着眼で、これを本格的に研究すれば、新聞経営だけでなく、社会文化史的に大きな主題になることを見抜いておられたのである。

 津金澤さんは、関西や東京の研究者を組織され、研究助成まで獲得された。おかげで、これは楽しい研究会となった。当時は、メディア・イベントという言葉はなく、新聞社事業といっていたのだが、確か京都の鞍馬口で開かれた研究会席上、どなたかがDayanとKatzのMedia Eventという本を紹介され、われわれもメディア・イベントという言葉を使うようになった。ただ、研究会で論じていたことからすれば、Media Eventの中身はさほど新鮮味はなく、言葉が便利だったのだ。

 研究会を進めるうちに、これが社会文化史的に大きな研究主題であることが分かり、またその事例も次々と発掘できてきたから、大きな鉱脈を掘り当てた感じで参加者も大いに盛りあがった。ただ、活発な論議はどちらの方向に進むのか分からないほどになったのだが、ともかくそれを方向づけることができたのは津金澤さんの穏和な統率力のおかげである。この研究会の共同成果として三冊の研究書をまとめることができ、メディア研究、メディア・イベント研究に新生面を開いた。当初は問題の所在も分かっていなかった私も、甲子園野球大会や世界一周旅行について研究書を二冊も出版することができた。津金澤さんの呼びかけがなければ、到底できなかったことである。

 現在では、メディア・イベントの研究はありふれていて、何でもかんでもメディア・イベントだと言えば片づくような風潮さえあるが、最初にこの研究の鉱脈を発掘したのは津金澤さんの鋭い問題意識と実践力である。また、この研究のかたわら、ご自身の研究書として『現代日本メディア史の研究』を上梓され、『村嶋歸之著作集』など貴重な資料集の編纂にもあたられた。敬服するしかない。

 津金澤さんは、他の研究者がまったく気がついていない研究主題、気がついてもハードルが高く敬遠している研究主題に早くから取り組まれ、新しい研究領域を開拓してこられた。今ではあたりまえになっている研究も、津金澤さんのお仕事があったからこそ成立しているのであって、我々は多大の学恩を蒙っているのである。学恩に感謝しつつ、謹んでご冥福をお祈り申しあげる。

(2022年6月16日)