「津金澤先生の手紙と電話」

赤上裕幸:防衛大学校公共政策学科

 今回、改めて机の中を整理してみて、津金澤先生からいただいたお手紙の多さに驚いている。いつも丁寧なお便りをいただき、手紙の作法は先生から教わったといっても過言ではない。
 津金澤先生とはじめてお目にかかったのは、私が修士課程一回の時である。当時、大阪毎日新聞社の映画教育(活映教育)をテーマとした修士論文を執筆中であり、「大阪毎日新聞社の「事業活動」と地域生活・文化 : 本山彦一の時代を中心に」(津金澤聰廣編『近代日本のメディア・イベント』同文舘出版、1996年)を書かれていた津金澤先生のお話をぜひ聞いてみたいと思い、指導教授である佐藤卓己先生にお願いをして、研究会に講師としてお呼びした。
 研究会では大阪毎日新聞に関する資料を沢山用意していただき、新聞社の社会事業は顧みられることが少ないので頑張ってほしいという温かいお言葉をいただいた。修士一回で、テーマ設定に関してまだ迷いのある時期だったので、先生のお言葉を聞いて、活映教育で書けそうだと安心したのをよく覚えている。先生のご紹介で毎日新聞社の資料を拝見させていただく機会にも恵まれた。
 その後も、交流を続けさせていただき、私の博士論文の公聴会にも足を運んでくださった。公聴会では、活映教育の挫折に焦点を当てた報告を行ったが、大毎の事業活動の成功という視点も持っておいた方がよいのではというアドバイスをいただいた。博論を『ポスト活字の考古学 「活映」のメディア史1911-1958』(柏書房、2013年)として書籍化した際には、津金澤先生のアドバイスを参考にさせていただいた。先生から頂いた学恩はけっして忘れることはないだろう。
 院生時代には、メディア関連の貴重な本を詰めた段ボールを何箱も送っていただいた。毎回、どんな本が入っているのかとても楽しみだった。佐藤ゼミのメンバーと一緒に、先生が持参された川本喜八郎の人形劇や岡本忠成のアニメーションの鑑賞会を行ったのも良い思い出である。
 先生との思い出はとても良いものしか残っていないのだが、先生に電話をかける時はいつも緊張した。最初に研究会に講師としてお呼びした時に、交通費が発生したのだと思うが、大学の事務の方から「先生の正式な銀行口座名は「つがねざわ」ですか、それとも「つがねさわ」ですか?」と問い合わせがあり、こんなことを聞くためだけに電話をしてよいのかなと思いながら(先生はメールを使われないため)、緊張して電話したのを覚えている。
 最近はコロナの流行もあり、年賀状や手紙のやり取りだけになってしまったが、子供が生まれ、家族三人の写真が載った年賀状をお送りすると、「初めてお目にかかります」という先生のお人柄が伝わってくるような温かいお返事をいただいた。ご冥福を心よりお祈りいたします。