季節はいつだったのかも思い出せないのですが、1999年のある日、津金澤先生からお手紙を頂戴しました。その内容は、その前の年の暮れに日本評論社から刊行された『【ゼミナール】日本のマス・メディア』という教科書の中で私が執筆した10頁ほどの日本の放送に関する部分をほめてくださったものでした。諸事情によりほぼ初心者のレベルにもかかわらず私がその章の担当となり、出来栄えに関しては全く自信がなかったのですが、たくさん出版されていた教科書の中から先生が私たちの教科書を手に取ってくださったことだけでも嬉しいことなのに、その頃まだ足を踏み入れたことすらなかった関西の大御所の先生からの心温まるお手紙には心から感激しました。これが先生との最初の出会いでした。
その後先生のおかげで、ミネルヴァ書房から刊行された叢書メディアとジャーナリズム8巻にも執筆の機会をいただくこともできました。また、紀要の抜き刷りをお送りすると必ずお心のこもったお手紙を下さり、また先生からも玉稿をお送りいただきました。先生から珍しい切手が大好きとお聞きしたことがありますが、いつも封筒や葉書のデザインにマッチする素敵な切手を選んでくださる先生にお手紙を差し上げるときには、私も先生のお好みを勝手に拝察して切手を選ぶことが楽しみの一つでもありました。今PCに向かっている私の机の引き出しには次の拙論を先生にご高覧いただくときのための切手がまだまだたくさん残っていて、それを目にするたびに寂しくてたまりません。
関西の先生と直接お目にかかれるのは学会くらいでしたが、たくさんある思い出の中でもとりわけ印象に残っているのは熊本だったと思いますが、開催日の前日にキャンパスで偶然先生をお見掛けしたのでご挨拶しましたら、京都大学のお弟子さんとどこかにいらっしゃるところで、「一緒にいががですか」とお誘い下さり、私も喜んでお仲間に加えていただいたことです。先生からご新婚時代のエピソードまでお話していただけたくらいで、あの時の楽しい思い出はかけがえのないものとなっています。学閥とか師弟関係のつながりもなく、メインストリームとはかけ離れた、いわば部外者の私のようなものまでこんなふうに楽しい輪のなかに加えて下さいました先生には感謝の気持ちで一杯です。
一度だけですが梅田の古書店街をご一緒させていただいたことがあるのですが、どのように研究テーマと向きあったら良いのか、自分の足で汗をながして一次資料を発掘する意義など、ユーモアを交えながらご教示くださる先生のお弟子さんたちを心底うらやましく思いました。その時に先生から先生の最高の思い出として山本明先生と京都市内の古書店巡りをなさっていた時に『キング』と出会ったときのことをお聞きしました。結局お二人で相談された結果、山本先生がご購入されることになり、『キング』は同志社の図書館行きとなったと嬉しそうにお話されていました。
今の私は最初にお会いした時の先生の年齢をはるかに越してしまっていますが、これまで自分なりに何とか完成させた拙論を上梓するたびに実感してきたことは、いかなる研究成果も、「メディア・イベント研究」という先生が敷いてくださったレールがあってこそで、パイオニアとしての先生のスケールの大きさを感じずにはいられないということです。今年の春、届いたばかりの拙論の抜き刷りを先生にお送りしたのですが、そこに添えた手紙には、後に続きたいという志をもつものたちのために新しい境地を切り開いてくださった先生への感謝の気持ちをしたためたのですが、今となってはお元気な時に直接お目にかかってお伝え出来なかったことが悔やまれてなりません。
先生の学恩に感謝いたしますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
(2022年7月4日)