「メディア研究の『イカ京』的学統」

佐藤卓己:京都大学大学院教育学研究科

 津金澤聡廣先生から体調不良を記したお手紙を何度もいただきながら、コロナ禍とはいえ、お見舞いの機会を得なかったことは残念でなりません。

 古いアルバムで津金澤先生のお姿を探してみました。最初に一緒に写った写真は、1991年12月20日に東京大学新聞研究所(現・情報学環)屋上のものです(①)。当時、新聞研究所客員教授だった先生を中心に助手の私(左)、社会人院生だった難波功士さん(右)が夕日を背に収まっています。その前年、助手に採用された私の研究室は津金澤研究室のはす向かいにありました。よく食事に誘っていただきましたが、神田古書会館の即売会などに連れて行ってもらったことを昨日のことのように覚えています。当時、新聞研究所では文部省科学研究費重点領域研究「情報化社会と人間」が始まっており、私は総括班の事務担当をしながら、第1群「高度情報化と社会情報媒体の役割」第5班「情報化と大衆文化」(代表は佐藤毅・一橋大学教授)で津金澤先生とともに分担者になっていました。この共同研究は一橋グループ(市川孝一・川浦康至・安川一)のテレビゲーム班と、私たち関西グループ(ほかに黒田勇・永井良和・富田英典)のカラオケ班に分かれていました。

 

 総括班で私がカラオケ研究の重要性を訴えたとき、「カラオケを科研費でするつもりか」と批判的意見も上がりました。そのときも津金澤先生は全面的な援護射撃をしてくださり、このカラオケ研究はスタートしました。当時私は博士論文『大衆宣伝の神話―ヒトラーからマルクスへのメディア史』(弘文堂1992年、現在はちくま学芸文庫)の執筆中で、正直言ってカラオケ研究はドイツ史研究の気晴らしぐらいのつもりだったのかもしれません。しかし、津金澤先生との共同研究において私はメディア研究の面白さを体感しました。その意味で、私の最初のメディア研究である「カラオケボックスのメディア社会史」(アクロス編集部編『ポップ・コミュニケ-ション全書』パルコ出版1992年)は、その後の大衆文化研究の起点となりました。この共同研究はカラオケボックスで研究報告を行った後、みなでカラオケを熱唱するという異例のスタイルで続けられ、湯村温泉でのカラオケ体験合宿(②・右より黒田・永井・富田・津金澤先生、一人おいて私)など懐かしい思い出がいっぱいです。

 当時はまったく意識していなかったのですが、このカラオケ研究は加藤秀俊先生のパチンコ研究、津金澤先生の宝塚歌劇研究に連なる「イカ京」(いかにも京大らしい)の系譜にあることは確かです。そうした系譜については、津金澤先生に「京都大学教育学部におけるメディア史研究の系譜―開講科目についての覚え書き」(『京都メディア史研究年報』第二号・2016年)をご寄稿いただきました。いまとなっては何とも有難い遺産です。

 その後、私の研究人生の節々で先生にはいろいろ相談にのっていただきました。また、ゼミの院生たちを「孫弟子」として大変可愛がっていただきました。ご冥福をお祈りするとともに、これまでの学恩に改めて感謝いたします。

(2022年6月17日)