2007年、私は桃山学院大学社会学部に着任した。そのとき、津金澤先生も、関西学院大学の定年後、桃山大で客員教員をされていた。『広報・広告・プロパガンダ』(ミネルヴァ書房、2003年)という先生が編者を務められた論集への寄稿や、当時大阪で先生が主催されていた研究会に参加させていただいていた関係もあって、私が桃山に就職が決まったことを大変喜んで下さった。そのお祝いということで、宝塚歌劇団にご招待下さったのである。
津金澤先生は宝塚研究の第一人者である。学部時代、私は同志社大学文学部社会学科新聞学専攻(現在の社会学部メディア学科)のドイツ現代史、メディア研究者の佐藤卓己先生のゼミに所属していたのだが、芸能関連の研究がしたいという学生に、佐藤先生が『宝塚戦略―――小林一三の生活文化論』(講談現代新書、1991年、その後「読みなおす日本史」シリーズ、吉川弘文館 、2018年)を読んで報告するように勧めていた。
私もそこで一緒に読んだのだが、ものを知らない学生だったので、勝手に「タカラヅカ」といえば華やかで「若い女性」の世界とのイメージでしか捉えていなかった。恥ずかしながらそんなイメージ先行で、1932年の戦前生まれの男性が執筆していることを不思議に思った。芸能といえばテレビのアイドルぐらいしか想像できなかった当時の私にとって、それは自分と無縁そうなものでしかなかったからである。阪急西宮北口駅で見かける、一般の学生とはあまりに違う音楽学校の生徒たちの雰囲気、彼女らの華やかさと相まって、きらびやかな舞台芸術である「タカラヅカ」が社会学やメディア研究と繋がるということもまったく想像できていなかった。そんな無知な先入観のままに同書を読み、はっきりいってビックリしてしまった。
同書はサブタイトルに「小林一三の生活文化論」の名を冠している。同書を読めば、身近にある「生活」と、「タカラヅカ」歌劇という芸能の間には、娯楽や鉄道(電車)、住宅に買い物(百貨店)といったいくつもの文化装置が一筋に並んでいることがわかる。さまざなアイディアから生まれた「生活文化」が、自分自身の日常と深く繋がっており、過去から現在まで関係しているものが多数あることが理解できた。こんなことは「常識」と言われればそうなのだが、一見つながっていそうにない文化の数々が小林一三による阪急グループの構想のうえ、歴史な流れのなかで広がっていって「今」があるなんて!そんな驚きとともに、芸能や趣味の世界が「生活文化論」として研究できることに魅了された。
とはいえ読後、小林一三の「宝塚戦略」の象徴である「タカラヅカ」歌劇団の敷居は私には高すぎた。研究者としてあまりよろしくない態度だが、そんな私を津金澤先生は宝塚大ホールの公演、しかも中央席に招待してくださったのである。聞けば津金澤先生はかなり早くからの宝塚ファンクラブの会員(会員番号一桁だか二桁だか?!)であったという。様々な研究を手がけられる一方で、海外サバティカルを取得したときには各地の舞台芸術を数々ご覧になったということを津金澤先生は楽しそうに語っておられた。今や鑑賞した作品内容はうろ覚えで私は「宝塚ファン」にはならなかった。だが、アイドルや芸能関連の文化研究をしたいという学生に私が指導できるのは、先生のご研究と、先生が私に宝塚の舞台を見せて下さった経験があってのことだと思っている。津金澤聡廣先生の御冥福を心よりお祈りいたします。
(2022年5月30日)