「津金澤先生と大阪メディア文化史研究会」

竹内幸絵:同志社大学社会学部

 津金澤先生が私に大阪で広告史研究会の運営を始めようともちかけてくださったのは、2008年の1月のことです。

 その前年12月に東京大学駒場キャンパスで開催されたエフェメラル・メディアに関するシンポジウム※で初めて津金澤先生とお目にかかりました。多くの御著作で学ばせて頂いていた津金澤先生ご本人が聴衆の中におられると知り、勇気を出してお声がけしたのでした。当時研究していた戦前の広告業界誌『広告界』の表紙写真を色刷りで小さく100点ほど並べた資料をたまたま持っていたので、自己紹介代わりにお渡ししました。とても興味を持ってご覧くださいました。そして帰阪後すぐに論文や資料を大きな封筒にどっさりと詰め込んで送ってきてくださったのです。

 そのときの驚きは十数年経った今も鮮明に覚えています。津金澤先生から郵便を頂くなどとは夢にも思っておらず、貴重な資料を惜しみなく送ってくださったことへの驚きはもちろんなのですが、封筒に貼られた切手がそれは見事だったのです。絵画やデザインの優れた切手を常々集めておられたのでしょうか。大きな重い封筒に10枚ほど、大小様々なすべて異なる切手が美しく、ずらりと並んでいました。私の興味を配慮頂いたお心遣いと感じ、とても感動しました。

 その後二人でお目にかかる時間を頂き、戦前日本の広告の興隆や、戦時に突入した際の変容など多くのお話を頂きました。デザイン史を起点にメディア史・広告史研究へと踏み出そうとしていた私の研究課題についても熱心に深く聞いてくださいました。そして社会学とデザイン・美術史学との両面から広告を研究する会を、大阪で立ち上げようではないか、とご提案くださったのです。その後土屋礼子先生、難波功士先生にも賛同いただき、3月から戦時期広告史研究会を始めました。これが大阪メディア文化史研究会の前身です。

 初期の研究会には必ず颯爽と手を挙げながらいらっしゃり、若い研究者の発表にも耳を傾け意見を下さいました。先生は黎明期のデザイナー杉浦非水や霜鳥之彦、里見宗次の業績にも造詣が深く、そのような先生の関心の広さが、多様な研究者が集う会の性質に繋がったと思います。

 「研究会の開催頻度は多すぎても少なすぎても駄目で、次はいつかなあと皆が楽しみになるくらい間をあけるの長続きの秘訣だよ」。その先生のお言葉に従い、のんびりとしたペースだったから、ここまで続けて来ることができました。研究会は多くの異なる視座を持つ研究者の出会いの場となりました。しかし節目の第50回、今年3月の研究会への先生のご参加は叶いませんでした。

 数年前だったか、先生の愛犬パグのタローくんが亡くなった時、さみしさをしたためた自作の詩を郵送くださったことを思い出します。今はタローくんと空の上でまたお散歩をされているのだろうな、と思いを馳せています。

 先生、たくさんの学恩に改めて感謝申し上げます。心からご冥福をお祈りいたします。

※イメージ&ジェンダー研究会シンポジウム「戦争とメディア、そして生活」2007年12月1日

(2022年5月10日)